耳かきは完全に定着済み:近代日本の耳かき

日本人の耳かき好きは止まらない

明治時代に入ると、日本に急速に西洋の文化が浸透してきます。
同時に人々の髪形も日本髪から洋風に変化し、かんざしも花柳界などを除いて使われなくなっていきました。
耳かき付きかんざしも廃れましたが、耳かきそのものは更に発展しています。

耳かきの特許が申請された

西洋文化の流入によって入って来た概念の一つに「特許」があります。
日本では幾度かの試行錯誤を経て、1885年(明治18年)に本格的な特許法である専売特許条例が制定され、1899年(明治32年)に特許法(旧)の施行と共にパリ条約を締結して、国際的に通用する特許を出せるようになりました。

耳かきに関する特許で一番古いのは、中邨林造という人が明治23年8月14に出願した「耳掻」です。
この特許は明治25年4月4日に5年間の有効期限で登録されました。

他には、明治39年7月6日和田貞之進という人が「耳掃除器」の実用新案権を出願して受理されています。
実用新案権とは、まだ作られていない構想段階にある物(アイデア)の特許です。

US2331732-0

こちらは、画像は1941年にアメリカで申請された耳かきの特許です。
日本で耳かきの特許が申請されてから半世紀以上後になっての事であるので、耳かきに関しては日本はかなりの先進国であったことが分かります。

耳かきプロフェッショナルの中国人理髪師

Photo By: haru__q/2014/CC BY SA 2.0

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日本の耳かきの歴史で重要なのが「床屋」の存在です。
現代ではほとんどなくなってしまいましたが、かつては理髪や髭剃りと並んで、耳かき・耳掃除が床屋における主なサービスの一つでした。

床屋における耳掃除でスターとなっていたのは、中国から来た理髪師たちです。
中国人理髪師の耳かきは抜群に上手いと有名で、一般人の平均所得が月27円の昭和初期において、中国人理髪師は月45円を稼いでいたと言われています。
さすが耳かきの本場です。

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