耳かきがビジネス化:江戸時代の耳かき その1

耳かき文化が花開いた時代

中世以前の日本の耳かき文化は、文献や遺物が少ない溜めにあまりよく分かっていません。
しかし、江戸時代になると情報が一気に豊かになり、様々な文献や骨董品から、当時の耳かき文化がどのような物であったのかが詳しくわかるようになっています。

耳かきいたします

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江戸時代には耳掃除をビジネスとする「耳垢取」という商売がありました。
この職業は「耳垢取ろう取ろう」「耳垢取りー」などの掛け声を上げながら、町の辻に立ったり周囲を巡回したりして、客の要望に応えて耳かき・耳掃除をしていたそうです。

江戸後期の戯作者・浮世絵師の山東京伝が、文化十二年(1815年)に刊行した考証随筆『骨董集』にも、耳垢取りのことが詳しく書かれています。
それによると貞享の頃、江戸の紺屋三丁目辺りには長官という耳垢取り(上の図の人物)がいたとのことです。

さらに、同じ頃の京には唐人越九兵衛という耳垢取りが居たと記述されています。

耳垢取之図

耳垢取りの様子を記した著作によれば、彼らは唐人の格好をしていたようです。。
これは辻で商売を行う性質上、目立つ格好は都合が良いということが理由だったのでしょう。
中国が耳かきの本場であるとみられていたことも関係していたのかもしれません。

耳垢取り以外に、髪結い床(床屋)でも耳かきサービスが行われていました。
これは後の世にも受け継がれることになります。

耳かき落語

耳かき落語

江戸時代の耳かきがビジネスが一般的であったことを示す、以下のような落語があります。

ある人が耳かき屋に、耳掃除をしてくれと声をかけた
「松竹梅(あるいは上中下)がありますが、どれにしましょうか?」
「何が違うんだい?」
「使う耳かきが違うんでさ」

「松は金の耳かきでします。
取った後にいつまでも小判の音がして、金持ちの気分になれるんでさ」
「お、いいねえ」

「竹は象牙の耳かきです。
すべすべして気持ちがいいし、取った後には耳がよく聞こえるようになるご利益もあります」
「なるほど」

「一番安いのは錆びた鉄くぎでやります」
「痛くないのかい?」
「耳垢はなくなりますが、耳も聞こえなくなります」
「……」

 

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