耳かき付きかんざしが流行った:江戸時代の耳かき その2
遊び心から生まれたスーパーロングヒット商品
江戸時代の耳かきアイテムとして有名なのが「耳かき付きかんざし」です。
これは飾りの先端部が耳かきになっているかんざしで、普段は髪に挿しておいて、耳がかゆくなったら使えるという便利グッズです。
日本髪を結っていると頭がかゆくなってもなかなか掻けませんませんが、これがあれば髪形を崩さずに頭を掻くことができるということで、大いに流行りました。
耳かき付きかんざしの種類
浮世絵に描かれているように、かんざしについている耳かきは髪に挿すのとは反対側、飾りの先端部から出ています。
かんざしの種類はいろいろありますが、耳かきが付けられていたのは「平打かんざし」「玉かんざし」「吉丁(よしちょう)」の三種です。
平打は飾りが平たいタイプ、玉かんざしはその名の通り飾りが玉のタイプです。
吉丁は一番シンプルな物で、耳かきだけがついているタイプになります。
日本髪の一般化がかんざしを増やした
昔からアジアでは耳かきは髪飾りと一体化している物が多く、稲荷山経塚から発見された耳かきも髪留めを兼ねた構造でした。
つまりは、後世に残るような耳かきがたくさん作られるかどうかは、髪飾りを付けるヘアスタイルが流行っていたかどうかが分かれ目であったということです。
古墳時代~奈良時代にかけては、日本の(身分の高い)女性は髷を結うヘアスタイルが一般的で、かんざしなどの髪飾りもよく使われていました。
しかし、平安時代になると女性の髪形は垂髪という髪を降ろしただけの形になり、髪飾りはほとんど使われなくなりました。
時代が進んで安土桃山以降になると、髷を結うヘアスタイルが再び一般化しました。
それが頂点に達した江戸時代は、かんざしと共に装飾付きの耳かきが復活する時代になったのです。
耳かき付きかんざしの由来
日本の耳かき付き簪が発明された経緯は、喜多村信節という国学者が天保一年(1830年)に著した「嬉遊笑覧」という、百科事典的な随筆に見られます。
これによれば、北野天満宮の御開帳があった年(享保7年=1722年)に高橋図南(本名:高橋宗直)という人が、商人に持ち掛けたことが発端であったとか。
宗直は国学者・有識家(武家・公家の行事、法令、制度などの専門家)の公家で、元禄16年生まれなので、発明したのは19歳の時ということになります。
有識家の家系に生まれた宗直は、中国や昔の日本にあった耳かき付き髪飾りのことを知っていたのかもしれません。
それから100年以上経った後の百科事典にも載っていたのみならず、現代においてもかんざしには耳かきがついている物は一般的です。
まさか宗直も遊び心で提案した商品が、300年近く経っても作られ続けることになるとは思わなかったでしょう。
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