日本人の進化と耳垢の秘密:その1
様々な血が混じった証
日本人といえば単一の起源を持つ単一民族をイメージします。
しかし耳垢の例を見ればわかるように、その体の中にはいろいろな遺伝子が溶けあって、地域ごとの違いを生み出しています。
では、この違いはどのようにして生じたのでしょうか?
日本に人が来た時代
日本に初めて現生人類が到達したのは、古くて4万年前、新しくて1万年前ぐらいとみられています。
約1万年前まで地球は氷河期にあり、海面は現在よりも100m近く低く、宗谷・津軽・対馬などで、日本は大陸と陸続きになっていました。
大陸の様々な場所からやって来た人々が、これらの「橋」を渡って日本に入ってきたグループが、いわゆる縄文人と呼ばれる人々の祖先です。
縄文時代の日本人(の耳垢)
縄文時代は約1万5000年~2300年前の時代です。
化石からは縄文人の身体的特徴は全国で似たような物であったとわかっていますが、祖先はいろいろなルートで日本に入ってきていたので、遺伝子的には多様性があったことが判明しています。
遺伝子に多様性があるなら、耳垢はどうでしょうか?
乾性耳垢の遺伝子が生じたのは2~3万年前のバイカル湖付近で、日本に人がやってきた時代と同じぐらいの時期でした。
ちょうど発生したばかりの遺伝子であったことから、まだ日本には到達していなかったとみられています。
このため、縄文人は皆、あるいはほとんどが湿性耳垢の体質であったようで、遺骨から採取されたDNAの検査でも同じ結論が出ています。
弥生時代の日本人(の耳垢)
氷河期が終わって日本が現在の「列島」となっても、ある程度の人の流入はありました。
その中で特に大きな影響をもたらしたのが、稲作の技術と共に朝鮮半島を経由して入って来た渡来人です。
渡来人は現代の中国東北部の人と同様に、乾性耳垢の人が多かったようです。
渡来人は断続的にやってきて、稲作の技術を伝えながら縄文人に交わり、後に弥生人と呼ばれる新たな系統の日本人が生まれました。
このようにして、日本にも乾性耳垢の遺伝子が入って来たのです。
県ごとに違う耳垢比率の秘密
朝鮮半島を経由してきたということで、渡来人が最初に到達したのは距離が近い九州北部であったことは確かです。
現代でも九州北部は東アジアからの窓口となっているので、福岡などでは乾性耳垢の人の比率は高くなっています。
逆に、九州から地理的に遠い東北や北海道まで到達する者は少なく、それが現在の乾性耳垢率の低さという形で表れています。
遠く海を隔てた沖縄及びその周辺の離島も同様です。
しかし、県ごとに耳垢の人が違う秘密は、これだけではありません。
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